職人Designer —–Toyoaki Kuwayama

京都デニムを作った理由とは

そして今後の京都デニムのあり方や考え方など
を断片的にでも語ろうと思います。

19歳の夏に父が病に倒れ、家業を継ぐことを余儀なくされる。自由奔放な一人暮らしの大学生活から一変、大学を中退し実家へ。借金を抱えたままの事業を引き継ぐ。
神経を擦り減らす毎日。生きていく価値を考える日が続く。
色々な出会いがあり、助けがあり、「自分のためではなく人のため」の気持ちが自分を支え、人生の道標となると感じる。具体的に何か行動しなくてならない。自分に出来る事、それは毎日感じていた着物職人の技の継承問題。
我が家が商いとしてきた着物に使用される本物の技術、手仕事の想いを継承する事。そして着物という形にこだわらず少しでも多くの人に知ってもらうことをしようと活動を始めようと、そして日本の良さを広めよう
それが今の京都デニムの始まり。(2004年から構想開発2007年発表)


歴史を辿れば今の着物の技術が着物という形にとらわれずに生活に合ったように変化を遂げるのは不思議ではないと思う部分もあり(これは用の美)
そして
形が変わろうと技術が正しく継承されればそれもまた伝統工芸であると信じて、伝統工芸は形ではなく我々の先祖が長い年月をかけてあみだした技術であり、その技術が生活に活用されてこそ本来の技術の役割が光を放つと思います。

奮闘の昔話

日本人の「用の美」を今の時代

日本では、世界に誇れる素晴らしい技術や精神、美術、生活様式が育まれてきました。特に日本の美術は額に入れて鑑賞するようなものではなく、日常生活の中で活用できる「用の美」として深く生活に根ざしてきた長い歴史的背景があります。それゆえ、今のいわゆる伝統工芸は本来はすべて日々の生活に具する用品、つまり、ファッションやインテリアの中にあるのが自然ではないでしょうか。日本人の「用の美」を今の時代に、そして物作りのロマンやプロセスも含めて次世代につなげるように京都デニムは活動しています。

京都デニムと呼ぶもの

デニム素材にももちろん友禅染めを試していました。
この試みは難しいものになりました。何が難しいかというと、デニムは元々染まっている生地で、しかも、ロープ染色という特殊な染色方法で染められているものです。そこに色を入れるには一旦藍色を抜かないといけません。聞き慣れた言葉ですと、洗濯の時に行う、漂白です。着物でも紋抜きなどで使われる技術です。しかし、それはどのような染料で染めてるかが明らかだからできることで、デニムのように綿花の質も太さも、藍の質も毎回違う、いわば一期一会の地点で色を抜くのは、実験としか言いようのないものでした。試行錯誤を繰り返し繰り返し、色を抜き、色を指す、染料での伝統工芸京友禅染めを施すことができるようにもなりました。
出来たと言ってもまだせいぜいA4用紙の大きさくらいでしたが。
この、デニム生地に京都の着物に使う染色技法をほどこした生地のことを私は京都デニムと呼んでいます。

京都デニムの目標は

京都デニムを通して京都の産業の活性と着物の染織技術の後継者育成に少しでも役立てば良いと思います。
京都に限らず、染色から感性を磨き、学んだ学生が働ける次世代の産業になればどんなにか素晴らしいことかと思います。
大雑把に言えば、一企業のものではなく、京都の、ひいては日本のひとつの産業になればいいなと
思っています。

京都デニムが考えるコト

ひと昔前と今は生活スタイルも変わりスクラップ&ビルド(使い捨て)の時代からリサイクル文化へと変わり、そしてこれからは自分がものの価値を決める時代になっていきます。
良いものを大切に使い続ける日本人の心を大切にしたいと考えています。
例えば、使い古したデニム生地に友禅染を施したり、おばあちゃんからもらった色あせたデニムや洋服を染め直す。物を生み出すのと同時に、大事にされてきたものへも想いを寄せる。そしてまた次の世代に引き継げるように、京都デニムが持っている染色や着物の技術でお手伝いしたいのです。
つまり、京都デニムはデニムそのモノより、そこに生まれるロマンを伝えたいのです。
結果としてモノを売ってはいますがその過程やロマンを伝えることに重きをおいています。

京都デニムでは、一点限りの手作業には調和が存在します。

京都デニムの製品、作品には数多く1点ものが存在します。
ジーンズにお客様ご注文の柄を入れる作業やそれ以外の衣類、プロダクト。様々なカタチの中に1点限りのものを製作することがあります。
その中では着物の製作するための染めの技術が使われます。
技術には調和が存在します
染めの調和は工程の中一瞬の出来事のことがほとんどです。
歌で言えば一人一人の声が重なるほんの一瞬の出来事だったりします。
そして、実は手で作られる伝統工芸の技術には調和がたくさん存在します。ほんの小さな面積でもそれは存在するのです。
伝統の手作業すべての工程に背景があり知恵とロマンがありそして歴史があります。
その歴史とそこで生み出された新しさが重なり、新たな調和が誕生します。
その調和は一度しか存在しません
だから京都デニムの1点ものは同じものは存在しません。
だから面白いし感動があります。

デニムのモノづくりについての考え方。

何かプロダクトについて考えるとき、いつも頭に浮かんでくる事があります。伝統工芸がどのような進化を遂げて今のモノになったのか。
日本では中国や朝鮮などから文化を吸収し、それをかみくだき、日本なりの解釈をいろいろしながら、日本人にあうように変化させたりもしました。そうして独自の文化を築きあげたのではないだろうかと思います。
奈良時代は大陸文化を一生懸命に真似し、平安時代になると日本風にアレンジし発展させ、仮名文字の発明や仏画や大和絵と日本の美意識が目覚め始めました。豪華絢爛な桃山時代を経て、江戸時代には300年にも及ぶ平和が日本を包み込みます。
日本の芸術や工芸はこの中で素晴らしい発展していきました。花鳥風月や琳派や浮世絵、そして民衆の着物文化も花開きます。
ここで、日本美術が西洋美術と全く違う点は西洋美術は鑑賞的要素が強く日本の美術は生活美術であるというところです。日本では、襖や団扇、屏風に着物と、生活に密着したものに美術を用いています。そしてそれが本来の日本文化でした。
ところが、その後の歴史で急速に西洋文化が入ってきたゆえに、日本の文化は伝統という冠で区別され、過去の文化になってしまいました。

「if」

もし仮に緩やかに西洋文化が日本に浸透し、溶け込んでいたら、今どうなっていたでしょうか。
このような考えは、滑稽に見えるもしれません。しかし私はいつも、そういった「もし」を考えてしまうのです。そしてそれがモノづくりの基盤となっています。

でにぐまの誕生記

ものを製作する上でハギレが出ます。
ハギレと言っても、どの生地も中も端も関係なく、隅まで着物の技術で大切に仕上げたものです。たまたま端になってしまったからと言って、捨てるのはもったいない。何かよい案はないかと模索していた時、一見無駄に見えるものから一転させ、社会貢献はできないか、誰かのためにならないかということになりました。
正に塵も積もれば、で、ハギレをきちんと集め、それがひとつのでにぐまになり、お客様にお買い上げいただけたら、その利益から寄付という形で被災地を応援出来るかもしれないと思いました。

ではなぜクマなのか。
それは、クマの「カワイイ」がお客様の笑顔に、ひいては被災地の笑顔に繋がって欲しいと思ったからです。
めいぐるみに想いを込める事の歴史をたどると、這子(ほうこ)に行き当たります。日本では平安時代に這子をお守りがわりに子供の枕元に置いていたそうです。
ぬいぐるみに想いを込めて作る習慣は日本に古くから存在していました。
そして現在それはカワイイものを身近に置く文化にも進化を遂げています。
日本のカワイイ文化と着物の伝統技術が相見えるとで『でにぐま』が出来きました。
日本が培ってきた伝統工芸の技は高尚な文化と思われがちですが、でにぐまとでにぐまのカワイイを通して、伝統工芸をもっと身近に感じもらえればと思います。

京都デニムには見立てという日本の美意識を継承した作品を制作している

見立てという日本人の美意識は、そのもの自体だけで素晴らしい存在感と美しさを放っている、しかし全く違う使い方や見方をすると今まで見たことのない価値や美しさをまとう日本の文化。
見方を変えて楽しんでみようという創造の果てから考えたのか侘び寂びの文化から物を嗜むことの発展なのかわわからないが、身近な日本の見立ては和室の床の間が代表かもしれない、床の間に自然や季節を感じる掛け軸を飾り、その前に器を置き季節の花や草を生けると正に室内に新しい大自然が生まれる。
日本人は国土の3分の2は山林で覆われた限られた土地、そして四方を海で囲まれた島国であるがゆえに自然に対する恐怖や恵を沢山知っている。
だから先祖は美しい自然を感じやすく時に感動を新たな形で楽しんでみしようと見立ていう方法で床の間を使ったのではないかと思う。
日本人として自然に発展していった素直な見立ての美意識や楽しみ方は本当はすごく身近にたくさんあったに違いない。
京都デニムでは京くみひも(着物に使う帯締めの紐)をデニムに組み合す作品が数多く存在しています。それは、そんな日本人の見立ての美意識や楽しみ方が
もし観賞で終わらず利用したとしたらとどんな見立てモノがうまれていたのかとの想いで制作しています。

京都デニムが折鶴や折紙をテーマにした作品がある理由”

着物を制作、販売していた時に必ずと言ってでてくる着物の着付け。着物には着付けというものがあり、帯結びがある。その帯結びは特に結ぶというより折りたたむような感覚があり、種類も沢山あり、日本人の美学なのか自分では見えない背中に花の結びや豪華に結んだ後に組紐などを飾り、自分よりは見る人に感動を与えるものが多いです。
その帯結びと同じような感覚美が日本には昔よりある。
それは折紙ではないだろうか
折紙を幼少の時に親や先生からきっちり、綺麗に折る事を学ぶその後、折紙に色々な想いを込め折る事を自ら学ぶ、例えば、折鶴など正にその代表格で、病を早く治して欲しい願いから千羽の折鶴を折る。
日本には折紙の前に折る包むなどの文化が古来よりある。知名度の高いものであれば神社の玉串やしめ縄の紙垂などで他にも調べれば実に多くの折りの文化がある。
京都デニムではその着物の帯結びや折紙の折りの歴史背景や想いを寄せる文化を継承し、より身近なモノに昇華したならと想いで折鶴や折りを題材にした作品を数多く制作しています。

なぜデニム生地に着物の技を

よく聞かれる質問で
なぜデニムに伝統工芸京友禅ぞめを施しているのですか?
それは
着物は古くなるとアンティークとして価値が増していくことがあります。
今の現代の衣類の中で同じように時間が経っても価値が増す素材はデニムです。
すなわち
同じ価値が増す素材で伝統工芸京友禅ぞめを施していき文化を受け継いでいきたいとの想いからデニムに伝統工芸京友禅染めを施しています。

その他に、もう一つ理由があります。
世の中は急速に変化を遂げています例えば乗り物で言えば、馬に乗り馬車になり車になりました。
着物は馬に乗っていた時代の衣類です。
現在乗り物は車になっています。
このように生活様式が変化をとげても
文化は育っていきます。
伝統工芸京友禅染が施された衣類は着物と言う形だけではなく今、車にバイクに自転車に乗って移動できる服装に施されて伝統工芸は自然と受け継がれていくことは普通の事だと思う考えています。
このように受け継がれていくことも伝統工芸そして、日本の文化の良さだと思います。

閑寂(かんじゃく)と清澄(せいちょう)の世界に美意識を見つけ出す日本の伝統

その伝統の表現を今ジーンズに表現しています。
茶の湯、染色画などの領域における「わび・さびの世界」。
それは閑寂(かんじゃく)、清澄(せいちょう)な世界、枯淡の境地を意味します。
日本文化の独自性はもの静かでどことなく寂しげな境地、色彩感を否定したような枯淡な趣(おもむき)を美意識として発展させたことです。
「わび(思い通りにならないつらさ)」とは動詞の「わぶ(気落ちする・つらいと思うなどの意)」から生まれ、「さび(生命力の衰えていくさま)」とは動詞の「さぶ(古くなる・色あせるなどの意)」から出てきた言葉です。
つまり、これらの言葉は否定的な感情を示します。
やがて茶の湯、文芸、工芸、染色などの分野の人々がこうした言葉を「美を表す字句」として評価します。
その背景には平安時代から鎌倉時代に続く和歌文学や染色の伝統がありました。
京都デニムはこの美意識を現代的な感性で捉え、表現しています。